1986年に、広州の美術学院付属学校を卒業後、西洋画から中国画に転向する。
1982年から1994年、劉海粟に師事にする間、劉海粟の『捜尽奇峰打草稿』作成のため黄山に9度同行することで、絵画の真髄を極め大いに啓発された。
1995年、ロサンゼルスに渡り作品を創作しながら、西洋文化と芸術に触れ一段と視野も心も広げ、東・西洋美術文化を比較することで、より深く中国絵画の独自性と奥義を極めた。
これまでの絵画活動により蓄積した知識をもとに、積極的に海外に中国文化と芸術を宣伝することに務め、数多いアメリカの美術学院で『中国絵画六法論』について講義した。
また、国内の美術活動や展覧会などにも参画して、画家同士で技を切磋琢磨した。
謝天成は素材を集めるために全国に旅に出た。
山水が特に好きで、力強く大きな気概を筆に託し勢いのある絵を描いた。
大胆に潑墨潑彩を採用して全面を描き、そして細かく修正をかけ山水画の根本である近景の岩は俯瞰視、遠景の山は仰角視で描く原則に従う作品を描いた。
初期の作品は西洋画の塊状造型を中国絵画の創作に巧妙に取り入れ、少しずつ才能が発揮されていった。
当初は絵画活動で蓄積した経験と劉海粟先生の影響から、古人古法を自分の準則として持ち続けていたが、徐々に保守的で陳腐な概念から逃れ解放的な美術観念を身に着けていった。
彼の人物画は内容が豊富で、古人、現代人物、宗教、文学、現実を題材にして、外面からその人物の内面までを追及する原則を守り、人物像を作成することを重視している。
山水画、人物画は写意文人画の技巧を吸収したものに各流派の画法を加えていき、独自の博大で強い表現力をもつ作風を作り上げた。
謝天成の作品の特徴は書を重視するところにある。
長年の書道修養による造詣は、筆力の強さと墨の濃淡を自在に変化できた。
それは、ただの水墨画にとどまらず筆と墨で被写体そのものの客観的な美と自分が感じ取ったものを表現することにつながる。
だから謝天成の作品は、我々に時代や生活の息吹を感じさせてくれる。

 

『中国当代名画家集謝天成』(人民美術出版社)より、邵大箴先生の紹介文を翻訳

1948年中国廣東省に生まれる
1968年広州美術学院付属高等学校卒業
1982年劉海粟先生を師とし、山水画、人物等を専門にする
1982年広州博物館で開かれた中国美術展の優秀作品賞受賞
1983年中国美術専門誌『美術』にて、代表作品の一つ『漓江煙雨図』を発表
1983年『人民日報』の美術欄にも『江山煙雨図』などを発表
1986年日本側の招待で来日し、当時の中曽根首相と当時の海部文部大臣を表敬訪問し作品を贈呈
1987年アメリカのニューオーリンズ美術学院の招待で訪米、個展を開催し当学院の名誉教授になる
1988年劉海粟先生とともに中国黄山に10回目の登山写生し、同年12月に『漓江書画院』を設立
1989年台湾での個展開催を、中国の『人民日報』、台湾の『芸術家』、『台湾時報』などが報道
1990年『中国当代国画家辞典』に選ばれ収録された。同年、香港、マカオで個展を開催
2003年特集番組『謝天成の芸術人生』が、中国のCCTVで30分、廣東南方TVで60分、アメリカのロサンゼルスTVで40分報道された
2004年中国西部大地情全国山水画作品展で銅賞を受賞
2010年上海で個展を開催、中国の専門誌『収蔵界』で1月号から12月号まで特集にて紹介された
6月南京の絵画オークションに出品、53.5万元(約1,000万円)で落札された
2012年人民美術出版社が『中国当代名画家集謝天成』を出版、同年貴州省貴陽市で謝天成美術館を開館
2014年シンガポール側の招待でシンガポール訪問、陳慶炎大統領主催のイベントに参加
中国国内のオークションに『漓江煙雨図』を出品、150万元(約3,000万円)で落札され全額を中国教育基金に寄付
2015年広西桂林市美術館で個展を開催
劉海粟芸術学院院長、北京大学資源学院客員教授、北京東方大学伝統文化学院名誉教授、上海映画芸術学院客員教授、広西大学芸術学院客員教授、中国全国都市彫刻建設指導員会芸術委員、アメリカ国際文化芸術交流学会副会長、アメリカ世界美術家連盟副会長、世界華人協会芸術総監、世界収蔵家連合会芸術総監、アメリカ・中国文化芸術交流促進協会理事、漓江書画院長

 

『中国当代名画家集謝天成』(人民美術出版社)より、翻訳し抜粋


中国水墨画家謝天成日本後援会
日中美術文化交流協会